地域連携事業 京街道 連携事業
京街道 連携事業
大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉は、文禄5年(1596)、2つの城を最短距離で結ぶため淀川沿いに文禄堤を整備。この堤の道が京街道となりました。
淀川左岸地域の市町と沿線の鉄道会社等が連携し、協同でマップの作成・配布などの事業を実施しています。
京街道マップ
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城陽市
京都から五里、奈良から五里という双方の中間に位置し、古くから交通の要衝として発展してきました。市域の西を流れる木津川沿いには茶園が広がり、豊かな土壌で育てられた碾茶や梅や花しょうぶ、いちじく、寺田いもなど、多くの特産物があります。 京都と奈良の間、南山城の山際をゆるやかにうねりながら続く山背古道が通り、古墳をはじめ、なつかしい風景に出会えるまちです。
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大阪市
戦国時代、豊臣秀吉は大坂を拠点に天下統一を成し遂げました。大坂本願寺跡に大坂城を築、堀川などを掘り、海運・水運の拠点としました。
江戸時代に入ると、大坂は、流通・経済の中心地として、全国からたくさんの特産物が集まり、またいろいろな品物各地に送り出されるなど「天下の台所」として栄えました。また、町人文化がさかえ、歌舞伎や人形浄瑠璃、文楽などが流行しました。